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「もう一つの長岡禅塾 ―長岡禅塾に心を寄せて-」楠 正夫

長年に亘り長岡禅塾理事として禅塾運営にご尽力頂いている 楠 正夫 様より寄稿文を頂戴致しましたので掲載致します。

楠 正夫

元 株式会社トクヤマ 会長・徳山科学技術振興財団理事長・周南カントリー理事長・長岡禅塾理事


株式会社トクヤマは、山口県周南市の小高い丘の一角にゲストハウスとして「白雲荘」を所有しています。白雲荘は、2018(平成30)年の創業100周年を記念してリニューアルいたしました。

その庭園は、市松の禅模様にし、心字池は「深田池」と命名しました。

「白雲荘」の庭園は、禅にちなんだ市松禅模様。
心字池は勝次郎が活禅を始めた兵庫県神戸市御影の「伝芳庵」前の池の名称にちなんで「深田池」と命名。

三つの客間は、「膳塾 長岡」、「膳塾 伝芳庵」「郭公(ほととぎす)」と命名し、禅塾の禅は食べるお膳の膳としました。

白雲荘の客間の一つには、長岡禅塾にちなんで「膳塾 長岡」と命名。

玄関を入って廊下に通じる黄色い暖簾は、長岡禅塾の第三世塾長半頭(はんとう)大雅(たいが)窟(浅井義宣老師)が生前書いたものです。図柄は、「無」を意味する〇と横に「ぽんぽこぽ」と書いてあります。生前、浅井老師が書いた書を、ご遺族が風呂敷にされたものをいただき、暖簾として使用させていただいています。

白雲荘内には長岡禅塾第三代塾長の半頭大雅老師の暖簾が掲げられている。

膳塾長岡の間の襖絵には、100年前のトクヤマのソーダ事業の立ち上げの苦難を表現しました。岩井勝次郎は、経営の精神的バックボーンを「禅修行に確信を得た偉大な経営者」です。

勝次郎の経営の師は住友第二代総理事の伊庭貞剛でした。1894(明治27)年ころの住友別子鉱山は、二つの重大な問題を抱え経営危機にありました。一つは、本社と鉱山現地の深刻な人事問題、二つ目は、銅精錬による公害の社会的問題でした。

伊庭は、禅で培った私心のまったくない高い人格で、現地の人々への警戒心を解きほぐし、約1年をかけて深刻な人事問題を収めることができました。公害問題は、社会性を最重要視し、精錬所を無人島であった四阪島に移転し解決しました。

勝次郎は、この伊庭の姿勢に感動して、自分の求めているのは「これだ...」と確信し、禅の道に邁進するようになりました。1896(明治29)年に独立営業とし、貿易商に踏み出した33才の頃です。

禅道は文字や言葉では表現できないので、実践を重んじる「活禅」に徹し、坐禅の日々を送りました。修行の足跡をなぞらえたのがつつましやかなトクヤマの迎賓館「白雲荘」です。

勝次郎は、トクヤマのソーダ事業を軌道に乗せるまで、私財放出と共に岩井商店の経営危機をも陥らせました。それを思うとき、勝次郎の徹底した商道と厳しい禅道に通じるものを感じざるを得ません。

翻って、トクヤマ100周年時の経営困難に照らし合わせて、勝次郎の創業の精神と社訓を顧みて、会社の再起のスタート台に立つことができました。

私は、年に数回長岡禅塾を訪問します。外門をくぐり緑に囲まれた石畳の階段を登ると正門にたどり着きます。外庭には枯山水の庭園があり、禅堂を取り囲む内庭は、心字池のある池水庭園となっています。静寂とその雰囲気に圧倒され、いつも厳粛な気持ちになります。

今は神戸住吉の自宅も、深田池湖畔の伝芳庵の禅道場も空襲で焼失し、勝次郎の生前に完成しなかった長岡禅塾だけが残っています。

白雲荘の別の客間「膳塾 伝芳庵」は、岩井勝次郎が活禅を開始した神戸市御影の「伝芳庵」にちなんで命名。

2023年4月11日 勝次郎生誕160年、2025年12月21日 勝次郎没後90回忌、共に墓前にお参り致しました。勝次郎の見ない二つの「長岡禅塾」「膳塾 長岡」を通じて、その精神を心の成長の支えに活かしたいと思います。