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【2026年4月】禅塾にお越しいただいた皆さま

桜が見ごろを迎え、多くの職場や学校で新年度を迎える四月。多くの方々に長岡禅塾にお越しいただきました。


日本橋梁(株)新入社員研修

4月8日(水)、長期に亘りご支援を頂いている日本橋梁(株)の新入社員研修を行いました。

新入社員(日本人3名、バングラデシュ人1名、ネパール人1名)5名に加えて引率の方1名の計6名でお越し頂き、理事長による挨拶、塾頭による座禅の心構え、作法、呼吸法等の指導の後、禅堂で座禅、歩き禅を実践。その後、下記の講和資料をもとにした新入社員の皆様への塾頭講話、その後饂飩供養という昼食を摂り解散となりました。

塾頭の講話は新入社員に適したものと思っており、今後の社会人生活において実のあるものになれば幸いです。

徳山の働きが最もよく現れる場面「徳山托鉢」と、徳山の閑古錐とは?

徳山托鉢(とくざんたくはつ)の公案
この話は、禅の語録の中でも非常に象徴的なものです。
登場するのは徳山宣鑑(とくざん せんかん)と、その師である龍潭崇信(りゅうたん そうしん)

〈あらすじ〉
ある夜、徳山は師のもとを辞して帰ろうとしました。龍潭は言います。「外は暗いぞ」そこで灯(ともしび)を差し出す。徳山がそれを受け取ろうとした瞬間、 龍潭はその灯を「ふっ」と吹き消します。
この瞬間に何が起きたか。このとき徳山は大悟したと伝えられます。なぜか?
・光(=知識・教え)に頼ろうとした瞬間
・それが完全に断ち切られた
つまり、頼るものが一切なくなった。このとき初めて、「直に見る」しかなくなったのです。

ここで「閑古錐」(かんこすい)とつながります。
もし徳山がこの時、
・「灯とは智慧の象徴で…」 ・「闇とは無明で…」
などと考えたならば、完全に「閑古錐」です。つまり、
・解釈した瞬間に外れる ・意味づけした瞬間に死ぬ
ということです。

『碧巌録』との関係
この精神は、碧巌録全体を貫いています。例えば有名な公案では、
・問いに対して「沈黙」~あるいは~「喝」~あるいは「全く関係ない動作」
が返ってきます。これはすべて、「思考を通させないため」です。

『無門関』との比較
同じく重要な公案集である「無門関」では、より凝縮された形でそれが示されます。
たとえば「趙州の無」。登場するのは、趙州従諗。
「犬に仏性があるか?」という問いに「無」この一字。
これも閑古錐を排す働きです。ここで
・「無とは空のことで…」・「否定の意味で…」
と解釈した瞬間、 それがまさに「閑古錐」です。

徳山の厳しさの本質
徳山の「閑古錐」は単なる罵倒ではありません。むしろ
・知識に安住する心~分かったつもりになる心~それを根こそぎ断つ刃です。

禅的に一歩踏み込むと
「閑古錐」と言われるのは、 他人の仏法で生きている状態です。逆に言えば、自分の身で~今この場で~直に応じる。それがなければ、どれほど立派な言葉でもすべて「古びた錐」になります。

最後に
灯を吹き消されたとき、何が残るのか。「無」と言ったとき、何が働いているのか。もしそこに一瞬でも考えが入れば、徳山はおそらくこう言うでしょう。「閑古錐」と。


最勝会監査役の会 座禅会

4月9日(木)に、最勝会監査役の会による座禅会を開催しました。

最勝会は岩井系企業集団創業者・長岡禅塾開基岩井勝次郎の遺徳をしのび、また、各社の連携を目的として、1953年に発足したグループ企業会で、岩井勝次郎の戒名「最勝院大徹無為居士」にちなんで「最勝会」と命名。現在9社が加盟しています。

当日は最勝会の監査役の会が第五十回開催という節目で長岡禅塾での座禅会を開催。加盟会社の内7社12名が参加し、参加者は禅堂での坐禅、長谷川塾頭による講話、禅塾見学を行い、その後近隣の筍料亭「錦水亭」での懇話を楽しまれました。

日頃より大変お世話になっている最勝会関連企業の皆様への感謝を忘れずに長岡禅塾運営を進めて参ります。

「神道と禅の指針」

「誓詞の三勤と禅」(せいしのさんきんとぜん)について、少しお話をいたします。

「三勤」とは、「清くあること」「誠を尽くすこと」「勤めを怠らないこと」この三つの誓いであります。神道においては、特別なことをする以前に、まずこの三つを日々守ることが、何より大切とされております。

第一に「清くあること」

これは、ただ身を清めるだけでなく、心の濁りを祓うことであります。怒りや妬み、慢心そうしたものが心に満ちていては、神様に向かうことはできません。

仏教の根本煩悩に「貪・とん」(むさぼり)「瞋・しん」(いきどおり)「痴・ち」(おろかさ)「慢・まん」(たかぶり)「疑・ぎ」(うたがい)「悪見・あつけん」(誤った見方)

第二に「誠を尽くすこと」

誠とは、飾りのない真心であります。人に見せるためでもなく、形だけでもなく、ただ真っ直ぐに向かう心。これが神に通じる道であります。

禅では真心を「無心」(むしん)、あるいは「平常心」(びょうじょうしん)とも表現します。

第三に「勤めを怠らないこと」

どれほど小さなことでも、日々続けること。一度の立派な行いよりも、変わらぬ積み重ねの中に、信仰は現れてまいります。

※「陰徳」とは人に知られないところで積む善い行い・徳を意味する言葉です。

「陰」とは、目に見えない・人知れないこと。「徳」とは、善い行いやその積み重ねによって生まれる人格の力です。

この三つの姿は、実は禅の教えにも通じております。

 禅においてもまた、「心を濁さず」「作為なく」「日々を丁寧に生きる」ことが大切にされます。

 たとえば禅僧徳山宣鑑(とくざんせんがん)は、知識や理屈にとらわれた姿を「閑古錐」(かんこすい)と厳しく戒めました。どれほど言葉を知っていても、どれほど理屈を並べても、それが日々の生き方に現れていなければ、意味がないということです。

神道は「神に仕える道」、禅は「己を見つめる道」とも言えますが、その根底には、日々の心を正し、誠をもって生きるという共通の教えが流れております。

今日一日、清く、誠実に、そして怠らず。この三つを心にとどめていただければ、それがそのまま、神仏に通じる道となります。


岩井玲子先生 (サロン treatrip主催)
座禅会

4月13日(月)、ヨガとセラピーで体と心を整えるサロンtreatrip主催の岩井玲子先生以下14名の方に体験座禅会を開催致しました。

理事長、長谷川塾頭によるご挨拶、座禅の心得指導、座禅体験、以下のプリントについての塾頭講話後、近隣の料亭「錦水亭」にて旬の筍を食す懇話会も開催され、皆様満足して帰路につきました。

坂村真民の詩「念ずれば花開く」

念ずれば花ひらく
苦しいとき
母がいつも
口にしていた
このことばを
わたしも
いつのころからか
となえるようになった
そうして
そのたび
わたしの花が
ふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった

この詩の大切なところは、「念ずる」という点にあります。ここで「念ずる」とは、ただ願うことではなく、信じて疑わず、心に持ち続けることです。詩の中では、苦しいときに母がこの言葉を口にしていた、とあります。つまりこの言葉は、順調なときではなく、思うようにならないときの支えとして生まれたものです。
そして作者自身も、その言葉を繰り返し唱えるうちに、「ふしぎと花がひらいていった」と気づきます。ここでいう「花」とは、成功や結果そのものというよりも、心が前向きになること、道が少しずつ見えてくること、縁や機会が自然と開けてくることそうした「人生の開け」を意味しています。つまりこの詩は、「念じたから奇跡が起きる」という話ではなく念じ続けることで心が変わり、その心が現実を開いていくという、ごく実直な真理を語っているのです。禅的にいえば、これは「一念の力」です。
一つのまっすぐな心が、迷いを払い、行いを整え、結果として花を咲かせる。どんなに小さな願いでもよいのです。あきらめず、疑わず、持ち続ける。その一念が、やがて人生に花を咲かせる——それが「念ずれば花開く」の教えです。

坂村真民
坂村真民(さかむら しんみん)は、日本の仏教詩人。代表作「念ずれば花ひらく」で広く知られ、人生の苦難を包み込む祈りと慈しみの言葉で人々の心を励まし続けた。生涯を通じて「祈りの詩人」と呼ばれた。

主な事実
・本 名:坂村昂(たかし)
・出身地:熊本県
・生没年:1909年1月6日~2006年12月11日(享年97歳)
・代表作:「念ずれば花ひらく」「二度とない人生だから」

生涯と経歴
熊本県に生まれ、幼少期に父を亡くし、貧困と困難の中で母の信仰的な生き方に影響を受けた。神宮皇學館(現・皇學館大学)卒業後、小学校教員として奉職。戦後は愛媛県で高校教員を務めながら詩作に専念し、1950年代に個人詩誌『詩国』を創刊した。


学校法人 西大和学園高校 座禅会

4月17日(金)、学校法人西大和学園の高校1年生27名、引率教諭2名で体験座禅会を開催致しました。

理事長挨拶、長谷川塾頭による座禅の心得指導の後禅堂で座禅体験をおこないましたが、参加者のほぼ全員が直道である塾頭に合掌し自ら警策を頂いていました。

また、配布したプリント(以下)の答えを考えるように座禅体験前に質問を出しており、座禅後の塾頭による講話の際に各自の答えを披露後、最後に塾頭が回答を開示。さて回答は如何に。

「夕焼け」 吉野弘

詩人の吉野弘は大正十五年山形県酒田市で生まれ、八十一歳で亡くなる。

いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をギュッと噛んで
身体をこわばらせて―。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。

吉野弘の「夕焼け」は、夕焼けという“移ろいゆく光”を通して、終わりと始まりの「あわいにある人間」の感情を静かに描いた詩です。
・夕焼けは、一日の終わりと次の始まりを象徴する
・光の変化が、人の心の寂しさや温かさを映し出す
・消えていく光の中に、人と人のつながりや優しさが見える
・声高に語らず、静かなまなざしで「人を思うことの大切さ」を示す
つまりこの詩は、夕焼けという自然の美しさを通して、私たちの心の奥にある“やわらかい感情”をそっと照らす作品です。

 一言でまとめると「あわいにある人間」とは、はっきり割り切れない感情や状態の中で、揺れながら生きかながらえる私たち、そのものです。

「無財の七施」の教え
一、眼施(げんせ)    優しい目つきで接する。
二、和顔施(わがんせ)  穏やかな顔つきで笑顔で接する。
三、言辞施(ごんじせ)  思いやりのある言葉を使う。
四、身施(しんせ)    ひとが嫌がる事も率先してする。 
五、心施(しんせ)    他人の為に心配りをする喜びや悲しみを共有する。
六、壮座施(しょうざせ) 他の人の為に進んで席を譲る。
七、房舎施(ぼうじゃせ) 雨風を凌ぐ場所を与える。 

皆さんにはここに書かれている無財の七施は毎日行っていらしゃると思いますが、今のこの世界では中々出来そうで出来ないのがこの七施ですね。一人でもこの心を持って生活をしていきたいものです。


東畑建築事務所、㈱ 清林社 座禅会

長岡禅塾の創設者・岩井勝次郎の三女の夫であり、東畑建築事務所設立者である東畑謙三氏によって長岡禅塾は設計されています。

4月21日(火)には、 ㈱ 東畑建築事務所 代表取締役社長 米井寛 様、常務取締役 黒木俊介 様、取締役 東畑郁夫 様、㈱ 清林社 代表取締役社長 鈴木直也 様ほか、総勢12名の方にお越し頂き、座禅会と禅塾施設見学を致しました。

長谷川塾頭の講話を興味深くお聴きになり、禅塾施設見学では流石皆様専門家なので、これまで聞いたことの無いコメントが続出していました。

「五重塔」に見る分別

明治時代の名作と呼ばれる幸田露伴の『五重塔』という話があります。
あらすじは、不器用な大工で、人からは、「のっそり」と呼ばれていた十兵衛が、谷中感応寺に五重塔を建てる計画が持ち上がった時に何としても自分が五重の塔を作りたいと願う。谷中の感応寺の和尚は、十兵衛のその熱意と技量を見て名棟梁と呼び名も高い源太ではなく十兵衛に任せる事にした。十兵衛は怪我を負いながらも一心不乱に建設を進め、見事に五重塔を完成させる。落成前夜、百年に一度の大嵐が塔を襲うが、塔は微動だにせず立ち続ける。

この話を禅の世界観から読むとどうなのかをお話させて頂きたいと思います。

・「分別を離れて一心に打ち込む十兵衛の姿」が、物語の核心としてあります。
十兵衛は、周囲から「お前には無理だ」と否定され続けます。しかし彼は、それに対して理屈で反論する訳でも、評価を気にしている訳でもなく、只だ、黙々と、塔を建てることに心血を注ぐのです。

禅でいう「無分別智(むふんべつち)」の働きです。考えないのではなく、考えにとらわれない心の働きが自然に現れる状態。禅では、「あれは?これは?」と比較し、損得や優劣を測る心を「分別」と言います。

十兵衛がもし「分別」にとらわれていたなら、「自分には無理かもしれない」「他人より劣っている」と考え、最初から手を引いていたのではないでしょうか。しかし彼はそうしない。大切なのは、ただ(作る)という行為そのものに没入する。これは、いわば「作る自分」と「作られる塔」とが一つになっている境地です。

この姿は、禅でいう「行住坐臥、(ぎょうじゅうざが)日常のすべてが修行である。」
例えるなら、材木を運ぶ時「行」、現場に立つ時「住」、図面に向かう時「坐」、休む時「臥」となるのです。

「無心にして事に当たる」乞食行というのは施す側のものでもあるのです。そのことに気づかなければ、すべては無駄になってしまいます。乞食行は施す側のものでもあるというのは、誰かに施すという行為が執着を捨てる事であると言っている。「これは自分のものだ」執着という思いが強ければ強いほど、人の苦悩は大きくなる。しかし、施しを通じて「握った手を放す」ことを積んでいけば執着を低減でき心を調える。(釈徹宗 維摩経)より

・さらに、嵐の中でも塔が倒れなかったという結末。
無門関の問答に「非風非幡」という則があります。二人の僧が「旗が動いている」と言い、もう一人が「いや風が動いている」と問答をしているところに老師が来られて、「貴方の心が動いている」と言った。

五重塔では、風は激しく吹き、外は大きく動いている。これはまさに「風が動く」世界です。その中にありながら十兵衛は、人の評価にも 自分の不安にも 外の状況にも心を乱されない。ここが大事です。「外は動いても、心は動いていない」ここが大切です。

これも単なる技術や偶然ではなく、禅的に見るならば、心が揺れなかった者の仕事は、外の嵐にも揺れなかったのでした。

禅では「外の世界はそのまま心のあらわれ」と見ることができます。十兵衛の心が、他人の評価に揺れなかったからこそ、その働きとしての塔もまた、嵐に耐えうるものとなった。

また別の角度から言えば、「我を離れる」ということでもあります。この時の十兵衛は「自分がやっている」という思いさえ薄れ、ただ仕事に打ち込んでいる状態です。禅でいう「無我」。分別を超えて事に打ち込むのが「無分別」自他を忘れて働くのが「無我」

心の在り方がそのまま形に現れるという「心境一如」。
心境一如(しんきょういちにょ)とは、「心(主体)と境(外界・状況)が一つになり、対立が消えた状態」を指す仏教語です。

とかく人は評価を気にしながら生きて居ます。それを十兵衛は苦しみながらも自問自答して立派な五重塔を建てたのです。どんなに苦しかったでしょうか、私たちは分別の中にいる限り本当の力は現れてきません。幸田露伴の『五重塔』の十兵衛は、ただ一心に塔を建てました。それは、塔の強さというより、心の強さのあらわれでもありましょう。

私たちもまた、目の前の事に分別なく打ち込むとき、そこに仏の働き(無心のはたらき分別を離れた一念)が現れてくるのです。人は仕事をする時、どうしても分別が心に起こります。分別の心こそが、本来の働きを曇らせると『五重塔』で読み取れるのではないのでしょうか。

「無理だ」と言われても、一心に木と向き合い、塔を建てた。「自分がやっている」という我もなければ、「人に勝とう」という競いもなくただ、木と一つになり、仕事そのものになりきっている姿が、尊いのです。

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