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【禅心禅話】第五話「霊雲見桃(れいうんけんとう)」

長岡禅塾の平塚塾長による連載コラム「禅心禅話(ぜんしん ぜんわ)」。

多くの方に禅の教えに親しんでいただくために、長年の修行と実践から得た禅のこころを、古典や禅語を交えつつ現代の言葉で綴ります。

日々の中で心を静めるひとときにお読みください。

今回の公案

福州霊雲(ふくしゅうれいうん)の
志勤(しごん)禅師は、
桃の花を見て仏道を悟った。

「霊雲見桃」 『葛藤集』 第8則より

平塚塾長

私の寺、相国寺の南隣には京都御所があり、この時節は桃林が赤く色づきます。

福州(福建省)の霊雲は、諸国行脚の途次、時に色づき始めた桃の花を見た瞬間、大悟(だいご)しました。さっそくその悟境(ごきょう)を詩に書きました。

「三十年来、真の禅僧を尋ね歩いて、葉が落ち芽が生ずること幾たびぞ。だがひとたび桃花を見てより、今に至るまでついに疑わず」

私どもの心は五官(ごかん)を通して外界と接します。接しますと、心に様々な想念が浮かび、それらにとらわれます。いわゆる迷いというものです。何が正しく、また正しくないか、その判断基準を他者の意見や書物といった情報に求めます。しかし、何もハッキリしません。

禅の修行者は、坐禅によって自己を見つめ、また諸方の禅師を尋ねて心境を練ってゆきます。霊雲は、なんと30年も迷いの雲のなかでさまよい、ある日、桃の花を見ておのれの心とおのれを取り巻く世界がハッキリしました。

霊雲は五官のうち、「見る」という視覚によって悟りましたが、香厳(きょうげん)は石が竹に当たる音、すなわち聴覚によって悟り、黄山谷(こうざんこく)は木犀の花の香、すなわち嗅覚によって悟りました。むろん、誰しもが五官によって仏道の何たるかを確信できるわけではありません。

ちなみに「玄沙三種病(げんしゃさんしゅびょう)」という問答があります。長いのでかいつまんでご紹介します。

「玄沙が言う。眼の見えない人に払子(ほっす)などの仏具を使って見せても禅の真意は伝わらない。耳の聞こえない人にいくら説法しても無駄である。口のきけない人は自分がどんな境地であるか、こちらに伝えられない。さあ言ってみよ、かれらをどう導くか。彼らを救えないなら仏法に霊験などないぞ」

玄沙は、身障者のかたに仏法をどう説くかを尋ねているのではありません。実は、私たちは見ているようで何も見ていない、聞いているようで何も聞いていない、そしておしゃべりしても何ひとつ真実を語り得ていない。私たちは、立派に五官を持っていても何ひとつ本質をつかんでいない。

そのわけは、私たちは「主観」というエゴ、身勝手、自己愛着によってしか、この世界と接することができないからです。この自我という頑固な壁を突き破るのに、霊雲は30年も苦しんだのです。

ことほどさように、私たちの迷いの根源は、私たちの心意識の底なしの無意識のなかに潜んでいます。それを白日のもとにさらすのが、坐禅というきわめてシンプルな行為なのです。

【お知らせ】

平塚塾長の自坊・養源院にて「春の彼岸会」が執り行われます。

場所: 相国寺 養源院
日時: 2026年3月20日(金) 午前11時~
内容: 法要、坐禅、法話(※お抹茶、軽食付)

参加ご希望の方は以下まで、あらかじめご連絡ください。
TEL: 075-231-6702(養源院)

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