長岡禅塾の平塚塾長による連載コラム「禅心禅話(ぜんしん ぜんわ)」。
多くの方に禅の教えに親しんでいただくために、長年の修行と実践から得た禅のこころを、古典や禅語を交えつつ現代の言葉で綴ります。
日々の中で心を静めるひとときにお読みください。
今回の公案
清浄(しょうじょう)の行者 涅槃(ねはん)に入らず。
破戒の比丘(びく) 地獄に墜ちず。
「不入涅槃」『葛藤集』第24則

2月15日は、釈迦入滅(逝去)の日として、仏教宗派挙げて「涅槃会(ねはんえ)」という法要を執り行います。この「涅槃」という言葉は、古代インド語の「ニルヴァ―ナ」の漢語音写(※1)ですから、漢字自体に意味はありません。ほかに音写例として菩提(ボーディ、悟り)や菩薩(ボーディサッㇳヴァ、六波羅蜜(※2)の行者(※3))などがあります。
また、釈迦の入滅を涅槃と称し、後世に涅槃図や涅槃像が作られましたが、それらはみな紀元前4世紀ごろに成立した『大般涅槃経(だいはつねはんきょう、マハー・パリ・ニルヴァーナ・スートラ)』という釈迦入滅を叙述した経典を根拠としています。日本語にすると「偉大にして完全なる入滅」となります。
さて、今回の禅問答における「不入涅槃」の涅槃は、釈迦入滅という意味ではありません。元来、涅槃とはローソクの灯などを「吹き消す」という意味です。古代インドでは、六道輪廻(※4)から解放されて苦悩が消える「解脱」という意味でつかわれました。下って、紀元4世紀ごろ大乗仏典『涅槃経』が成立し、その涅槃思想は更に拡大されましたが、ここでは省略します。
そこで、有名な仏教のスローガン「三宝印(※5)」から涅槃の意味を見ましょう。その内容は、
- 「諸行無常(あらゆるものは生じ、変転し、必ず滅する)」
- 「諸法無我(あらゆるものには実体がなく、本来空である)」
- 「涅槃寂静(よってあらゆるものへの執着は吹き消え、心に絶対の静寂が訪れる)」 となります。
「涅槃」とは、執着というエゴを滅し尽くして悟りの智慧に至った心の平安です。釈迦は、入滅によって自ら私たちに「涅槃寂静」をお示しになりました。つまり涅槃もまた肉体の死によって必滅するという厳然たる無常の世界なのです。死後に訪れる世界ではありません。
さて、それでは清浄の行者は何故、涅槃に入らぬのでしょう。あるいは入れぬのでしょう。また、破戒(※6)の比丘(※7)は何故、地獄に墜ちないのでしょう。仏教の戒律に従えば、持戒の仏道修行者はやがて悟りが開かれ涅槃に入り、破戒の僧は教団を追放されて、死後に必ず地獄へ墜ちるはずでしょう。
しかしよくよく考えれば、清浄の行者はその清浄行そのものが涅槃の現成(※8)であって、なにもわざわざ涅槃に入る必要もありません。また破戒の僧は、破戒生活がそのまま地獄の真っ只中であって、死を待たずしてすでに地獄に墜ちています。禅仏教は常に「この人生の場において、現在という生活の時に、自己の何たるか」を厳しく問いかけるのです。
【語句解説】
(※1)漢語音写(かんごおんしゃ):外国語の音に、意味を問わず漢字を当てはめること。
(※2)六波羅蜜(ろくはらみつ):悟りに至るために実践すべき6つの修行。
(※3)行者(ぎょうじゃ):仏道修行に励む者のこと。
(※4)六道輪廻(ろくどうりんね):生前の行いにより、六つの世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を生まれ変わり続けること。
(※5)三宝印(さんぼういん):仏教の根本思想をまとめた3つの旗印。「三法印」とも書く。
(※6)破戒(はかい):仏教徒として守るべき戒律を破ること。
(※7)比丘(びく):出家した男性の修行僧。
(※8)現成(げんじょう):真理が今この瞬間に、ありのまま現れていること。
