長岡禅塾の平塚塾長による連載コラム「禅心禅話(ぜんしん ぜんわ)」。
多くの方に禅の教えに親しんでいただくために、長年の修行と実践から得た禅のこころを、古典や禅語を交えつつ現代の言葉で綴ります。
日々の中で心を静めるひとときにお読みください。
今回の公案
僧が洞山に訊いた。寒暑がやってきたら、どのように避けたらよろしいですか?
洞山が言った。どうして無寒暑の処へ行かないのだ。
『碧巌録』 第43即

今年は梅雨がはやく明けて、案の定、日本列島は40度近い酷暑にみまわれています。熱中症で亡くなられる方も多く、連日各地の熱暑報道が流れています。
そこで繰り返し話題となるのは、二酸化炭素放出による温暖化現象です。日本は比較的国家規模で対策が進んでいるようですが、肝心の排ガス大国アメリカが無視していますので、酷暑は当分収まりそうもありません。しかし、この地球温暖化は天文学的見地からも認識しておくべきでしょう。
地球は、太陽を中心に公転していますが、その公転軌道は円ではなく楕円です。しかもその楕円軌道は一定ではなく、膨らんだり縮んだりします。軌道が膨らんで太陽から遠い時期を氷河期といい、軌道が縮んで太陽に近づくと間氷期といいます。この氷河期と間氷期の周期はほぼ10万年で、最近の氷河期の頂点すなわち地球全体が極寒に包まれたのが2万年前、そこから徐々に温度があがり、現在の地球は間氷期の頂点に近づきつつあります。要するに天文学的に地球は超温暖化期に入りつつあり、やがて頂点に達すると南極、北極の氷は全て溶けて、海水面が現在より16メートル上昇します。日本の都市は京都のような内陸型でもほぼ水没します。
さて、本題に入りましょう。ある僧が、洞山の所へやってきて、「寒暑到来の時、いかんが回避せん」と訊ねます。これは禅問答ですから、時候の寒暑を訊いているのではありません。極寒や熱暑の苦痛を借りて、人生苦、生老病死の四苦をいかに回避するか、という質問です。さらに、洞山は禅僧ですから老苦、病苦、死苦についてではなく、生きること自体の苦、つまり迷いや煩悩の克服についての質問です。
洞山は即答します、「なんぞ無寒暑の処に向かって去らざる(どうして迷いの無い世界に行かないのだ)」。 僧は当然に、「いかなるか是れ無寒暑の処」と訊き返します。洞山はズバリ言いました。 「寒い時は闍梨(じゃり)を寒殺し、熱い時は闍梨を熱殺す」。
闍梨とは阿闍梨のことで、徳の高い僧侶のことで、ここでは客人のこの僧への敬語です。そして何より寒殺、熱殺の殺は、殺すというよりも対象に成り切って自我の肥大を消すという意味です。三昧のことです。したがって、闍梨を寒殺、熱殺とは、寒い時は寒さに徹しろ、暑い時は暑さに徹しろ、迷いが湧いたらその迷いが湧き出る自我に徹しろ、ということです。自我に徹するとは無我になれ、ということです。迷いの本質は実体のない空無です。臨済禅師も、「仏に遇えば仏を殺せ、祖師に遇えば祖師を殺せ」と言っています。自己の内なる仏祖に成り切り、仏祖の悟境、すなわち本来空に成り切れということです。
それにしても、質問の寒暑の「暑」が、熱殺の「熱」に代わっているのはおもしろいです。暑気払いや暑中見舞いの「暑」が、最近では熱中症、熱波などの「熱」の用語が増えてきました。熱中症にはくれぐれもお気を付け下さい。
