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【禅心禅話】第九話「非風非幡(ひふうひばん)」

長岡禅塾の平塚塾長による連載コラム「禅心禅話(ぜんしん ぜんわ)」。

多くの方に禅の教えに親しんでいただくために、長年の修行と実践から得た禅のこころを、古典や禅語を交えつつ現代の言葉で綴ります。

日々の中で心を静めるひとときにお読みください。

今回の公案

「風が動いているのでもない、幡(はた)が動いているのでもない、あなた方の心が動いている」

『無門関』 第29則

平塚塾長

梅雨時に台風が来ると、梅雨前線と重なり豪雨となります。

6月末、台風7号、8号があいついで列島を襲い、多くの河川が氾濫しました。京都も賀茂川河畔にレベル4の避難勧告が発令されました。

私の寺、相国寺は大風のため樹木が盛大に葉を落として、境内に散乱いたしました。前回の雨に引き続き、今回はこの風が話の発端となります。

インドから中国へ禅を伝えた初祖達磨(ダルマ)から数えて、六代目の祖師慧能(えのう)を略して六祖と称しますが、この方は驚くべきことに、僧侶ではなく行者(あんじゃ)すなわち在俗の寺男の身分で五祖弘忍(ぐにん)の法を嗣がれて六祖となったのです。

そして行者六祖は師の命に随って、そのまま諸国行脚(あんぎゃ)の旅に出たのでした。

その旅の途次、たまたま通りかかった寺に法話開講を知らせる幡がかかっていて、その幡が風になびいておりました。みるとふたりの寺僧が論争しております。

ひとりは「あれは幡が動いているのだ」と言い、もうひとりは、「いや風が動いているのだ」と言いました。

そこで六祖が言いました、 「風が動いているのでもない、幡が動いているのでもない、あなた方の心が動いているのだ」と。ふたりの僧はこれを聞いてぞっとしました。

さて「心が動いている」の真意は何でしょうか。風か幡か、決めかねているその心が動揺している、という忠告でしょうか。

「仁者心動」を「あなた方の心が動く」ではなく、そのまま「心動(しんどう)」と一気読みすると、風動、幡動、心動と、動というはたらきで、世界が一つになります。ここを古人は「群鳥やかましい時、鶴の一声」と評しています。

また同様に、この『無門関』の著者、無門禅師は、六祖の心動を否定して「心不動」とコメントしています。無門は、風、幡、心を「動」ではなく「不動」で統一したまでのことです。

動、不動が問題なのではなく、もろもろの現象の奥に「無」という絶対性があって、それが様々にはたらき機能して、この世界に真実の生命を与えているということです。

ともすると表面の現象だけに捉われて、自己を見失いがちな私たちの、不毛の論争に、六祖が、鶴のひと声で決着をつけました。

ちなみにこのエピソードの寺は、法性寺(ほっしょうじ)といい、たまたま住職の印宗法師(いんしゅうほっし)が、『涅槃経』の講話席を設けていたのです。

印宗法師は、この「心不動」の話を聴いて驚き、ただちに六祖を寺に招き入れ、弟子の礼をとり、六祖行者を剃髪出家させ、ここにめでたく六祖慧能禅師が誕生しました。

現在のわが臨済宗はすべて六祖慧能禅師の法孫です。感謝の言葉もありません。

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