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【塾頭コラム】第二回『蜘蛛の糸』― 新しい一歩と、心のありよう

長岡禅塾の塾頭、長谷川 玄聡による連載コラムです。

雲水として長年培ってきた禅の知見を、塾生と共に汗を流す日々の暮らしや、数多くの読書から得た気づきと共に綴ります。

今回のテーマ

『蜘蛛の糸』― 新しい一歩と、心のありよう

芥川龍之介『蜘蛛の糸』より

長谷川塾頭

四月を迎えました。
春は、ただ花が咲く季節ではなく、人がそれぞれの新しい道へと歩み出す節目の時です。

進学、就職、あるいは新たな思いを胸に出発することでしょう。
私もそうでした、師匠から雲水として修行に出して頂きましたが、今でもし忘れる事は出来ません。

専門道場の門の前に立って暫く佇んでいました。この門をくぐれば今までとは別世界!

決意して居たのにここ一番で揺らいでいる自分が有りました。
皆さんもそれぞれが新しい世界に身を置かれることでしょう。

期待もあれば、不安もある。
胸がふくらむと同時に、どこか落ち着かぬ思いも起こってまいります。

本日は、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を通して、この「新しい一歩」と「心の持ち方」について、少し味わってみたいと思います。

地獄におりますカンダタに、釈迦が一本の蜘蛛の糸を垂らされます。

これは、かつて蜘蛛を助けた、その小さな善に応じたものとされております。

しかし禅の眼から見ますと、この糸は外から与えられたものというよりも、もともと私どもの内に具わっている「仏のいのち」が、ふと現れた姿とも言えるのです。

新しい環境に入るとき、私どもはつい、外の方にばかり心を向けてしまいます。

この学校になじめるだろうか?会社上手くやっていけるだろうか?人間関係はどうだろう

か。けれども本当に大切なのは、外にある「糸」ではなく、それをどう受け取るかという「自分の心」でございます。 

さて、カンダタは糸を登りながら、こう申します。

「これは俺の糸だ」

その瞬間、糸は切れてしまう。

この場面は、新しい生活に入る私どもにとっても、大切な事を示しているのです。

新しい世界に入ると、知らず知らずのうちに、自分だけは!失敗したくない
自分だけは、怒られたくない。そういう思いが起こってまいります。

その思い自体が悪いというわけではありません。
しかし、それにとらわれてしまうと、心は次第に狭くなり、周りが見えなくなってまいります。

そのとき、せっかく与えられている「糸」すなわち、ご縁や機会さえも、支えきれなくなってしまうのでございます。

では、どう心を持てばよいのでしょうか。

禅は、「立派な心になりなさい」とは申しません。

ただ、起こってくる心に気づき、そのままにしておくことを教えます。

不安が起こるなら、不安のままに。
嬉しさがあるなら、嬉しさのままに。
焦りが出てくるなら、焦りもまた、そのままに。

それを無理に消そうともせず、逆に振り回されることもなく、ただ一呼吸の中で見ていく。

そうしているうちに、心は自然と広がり、目の前の世界もまた、広がってまいります。

新しい生活とは、「どこか別の場所へ行くこと」のように思われます。

けれども禅では、どこへ行っても、自分の心から離れることはできないと見ます。

だからこそ大切なのは、環境よりも、まずこの一呼吸、この一歩でございます。

焦らなくてよい。
比べなくてよい。
無理に先へ行こうとしなくてよい。

ただ、いま自分にできる一歩を、丁寧に踏みしめていく。

その積み重ねの中にこそ、それぞれの道が開けてまいります。

『蜘蛛の糸』は、心が世界をつくり、心が世界を変えていくことを、静かに示しております。

どうぞこの四月、新しい道を歩まれる皆さまが、外の出来事に振り回されることなく、自分の心を見失わずに、一歩一歩を大切に進んでいかれますように。

深く息を吸い、静かに吐く――
その一呼吸の中に、すでに道は開けております。

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